imotaro

小学生の時の芋太郎の長距離スペック

芋太郎はマラソン大会がわりと得意だった。

それは小学生のときから。

6年間、だいたい10位以内には入っていた。

いや、だいたい5位以内には入っていた。

バスケットも習っていたし、よく外で走り回って遊んでいた。

ゲームは好きだったが、友達と遊ぶときは基本的に外で遊んでいた。

ゲームと言えば、ドラクエⅢの冒険の書が消えた時の音楽と、ドラゴンボールの大魔王復活のオープニングをずっと見ていると流れてくる音楽はトラウマだった。

余計な話だ。

長距離適正の話に戻ろう。

とは言っても、ずいぶん昔のことだから、当時のタイムとかは覚えていない。

一応このころからガリガリに痩せていた。

中学生の時の芋太郎の長距離スペック

わりとハッキリ覚えている。

マラソン大会は1年3位、2年3位、3年5位だった。

相変わらずバスケを続けており、相変わらずガリガリに痩せていた。

1500mのタイムが最速で5分6秒だったはずだ。

誰もが嫌がる体育祭の1500mの選手になりたくてなりたくてしょうがなかったのだが、1年時は練習のし過ぎで体育祭前日に肉離れ。

2年時は当時最強を誇る中学校記録を更新する化け物みたいなヤツが同じクラスにいて、クラス代表になれず。

ついに3年時にクラス代表で選手になったが、受験勉強に傾倒していた芋太郎は完全にピークが過ぎていた。

体育祭本番では、1年生の代表にも散々に負けてビリから3,4番くらいでゴールした。

高校生の時の芋太郎の長距離スペック

ずーっと続けてきたバスケと手を切った。

芋太郎はついに気づいた。

自分はチーム競技に向いていない。

ひねくれている性格がわざわいして、チームワークを乱すのだ。

誰かがミスをすると許せないくせに、自分のミスが許されないことを許せないという、とんでもないヤツであった。

入った部活は柔道部だ。

個人競技に変えた。

ガリガリだったため、親には少しだけ反対された。

バスケをやっていた時は痩せていた芋太郎だったが、長い受験勉強の末、なぜかもっと痩せた。

高校1年生にして体重が47㎏前後だったように記憶している。

女子の最軽量が48㎏級なので、女装をすれば女子の最軽量で出場することができたのだ。

残念ながら男子校だったため、その夢は叶わなかったが。

先輩が関東大会に出場するような学校だったため、わりと厳しい部活だった。

男子の最軽量が60㎏級のため、食事はムリに食わされた。

頑張って増やした体重はMaxで53㎏ちょっと。

芋太郎は太るのに適した体ではなかったようだ。

さて話は長距離スペックの話になるが、覚えているのは1500mのタイム位だ。

たしか5分12秒くらいが最高だった。

バスケから柔道への転向が長距離の適性を阻害した。

中学生のときよりも遅くなってしまったのだ。

仕方ないだろう。

「シャトルラン」が「受け身の稽古」に変わり、「マンツーマンディフェンスの練習」が「寝技の乱取り」に変わったのだから。

大学生~会社員時代の体たらく

大学生になった芋太郎はひたすら自堕落な生活に陥った。

バイトと飲み会、そしてテレビゲームの鉄板ローテーションを見事に4年間続けた。

そして自堕落な生活のおかげで、柔道部時代に53㎏だった体重が48㎏に減った。

これだけ自堕落な生活をしているのに体重が減ることに一時期病を疑ったがすぐに忘れた。

運動などせずに社会人になり、ブラック企業よろしく、寝る直前に食べては昼はオリジン弁当を続けていたら、ついに体重が53㎏まで戻った。

柔道部時代と違うのは、腹筋が割れているか、だらしなく腹の肉がズボンの上にちょろっと乗っているか。

大したことないと思っていたが、ある日、全身を鏡で見て思わず身震いをした。

手足は相変わらずガリガリで、だらしなく腹の肉が少し出ている目の前の生命体。

きっと自分は火星か土星から来た宇宙人なんだと確信した。

それほど奇妙で気持ち悪い体型になっていた。

芋太郎特有の白さも気持ち悪さを引き立たせていた。

ちなみにこのころ、会社の会議に遅れそうで駅の駐輪場からホームまで走ったことがあった。

距離にして500mくらいだろうか。

死にそうなくらい息が切れて、会議中ずっと気持ち悪くなってしまった。

周りにも心配されて会議室から外に出て休んでいた。

それほど火星から来た宇宙人は体力がなくなっていた。

走り始めは…

芋太郎が年間3か月ランを始めたのは、会社を辞め経営者になってからだ。

最初は本当に火星人で、1㎞も走ることができなかった。

設定した2㎞のコースの半分だけ本当にジョギングペースで走り、残り半分を歩いて帰った。

1年目は今考えるとかなりしょぼいトレーニングしかしなかったが、筋トレも腹筋だけやり始めたので3か月後には人間に戻れたと思う。

今では1日10㎞なんて当たり前に走るが、当時は10㎞走った翌日に疲れ果てて目覚まし時計で起きれなくて仕事に遅刻したことがある。

経営者になって後にも先にも、客が来ているのに営業を開始しなかったのはその日だけだ。

あれから9年…、すっかり年間3か月ランナーが板につき、もはや火星人だったころの面影はない。

やはりいくら鈍感な芋太郎でも火星人は嫌だ。

自分で自分の姿が気持ち悪いのだから。

走り始めは本当に毎日走るのが嫌だった。

遅いし、つらいし、格好悪いし。

走るのに慣れて来て9年間…

なぜか嫌なのは変わらない!

なぜ⁉

世の中のランナーは一様にランニングが好きになるんじゃなかったの?

なぜか芋太郎は未だに走るのが嫌なまま…

だから3カ月しか持たないのだろうけど。

こんな自分の半生をつづったような記事、果たして誰の何に訳立つのか分からないが放ってみたいと。