ランニング中毒者のマラソン上級者はなぜか異様に勧めてくる
ランニング中毒者のマラソン上級者にモノ申す。
なぜアナタ方は初心者が初心者でいることを許してくれない?
なぜアナタ方は一般庶民が一般庶民でいることを許してくれない?
ハーフ90分切達成しました!
それを純粋に祝う、でいいじゃないか。
アナタ方も言ってくれる「おめでとう!」と。
それでいいじゃないか。
それでとどめておいて何か不都合でもあるのか?
それなのにアナタ方は二言目には言うだろう?
「次はフルだね♪」
次?
次ってなんだ?
次なんかない。
次も同じでハーフを走る。
次も同じで90分切でいい。
それで十分。
世間はそれで十分認めてくれる。スゴイといってくれる。
それなのにアナタ方はそれを許してくれない。
次はフル。そしてサブ4とか言う。サブ3.5とか言う。
できるわけないだろ?
3カ月しか走らない人間を捕まえてフルを走れと?しまいにはサブ3.5を目指せと?
やめてくれ。
フル、トレイル、ウルトラ…。
なんでアナタ方はその先、その先に行くことにそんなにこだわる。
アナタ方はすっかり忘れているかもしれないが、フルだの、トレイルだの、ウルトラだの、それは人間の足で進む距離じゃないからね。
埼玉県の狭山から神奈川県の相模原まで徒歩で4時間で行ける人間って普通じゃない。江戸時代だったらスーパー飛脚として何かの文献に残ってるレベル。
たかだかハーフで90分切をギリギリで達成したヤツになぜそこまで望む?
「iMotaroさんだったら、本気になればサブ3.5できるよ~」
いやいやいや、本気になってハーフの90分切なんだよ!
そもそもなんでそんなに人生の目標とマラソンが癒着しているのかが分からない。
ハッキリ言うが、ハーフ90分切の先などない!
ハッキリ言うが、私のゴールはハーフ90分切だ。
ハーフ90分切の先はない。
3か月でハーフ90分切、それが自分にとってのマラソンの端っこ。
「その先の世界が見たくないのか?」
見たくない!
興味もない!
何でその先をみるために年がら年中マラソンのことを考える生活を送らなきゃいけない?
ハーフ90分切の先にある世界が何だろうが知ったことじゃない。
iMotaroはハーフ90分切をした後は、アナタ方が言うその先の世界よりも『吉田類の酒場放浪記』を見る。そっちの方が断然見たい。
私は基本一人で走っているが、それでも8回も小江戸川越マラソンに出場していれば、ランニングの知り合いはできる。
そのほとんどがランニング、マラソンに哲学を見出している中毒者たちだ。
この人たちは小江戸川越マラソンが終わっても、その次を見ている。その先を見ている。
自分は違う。
その日が最後。その日で自分の一年のマラソンが終わる。その先はない。巻き込まれる必要は全くないのだ。