imotaro

11月30日(日)、本番の小江戸川越マラソンであった。

風はほぼなし。

天気は晴れ、この時期としてはやや暖かいくらいか。

とにかく、天候的にはベストコンディションだった。

体調も万全。

そんな中でのレース結果がこちら☟

1㎞ 4:23

2㎞ 4:13

3㎞ 4:01

4㎞ 4:07

5㎞ 4:09

6㎞ 4:03

7㎞ 4:08

8㎞ 4:08

9㎞ 4:08

10㎞ 4:13

11㎞ 4:09

12㎞ 4:12

13㎞ 4:10

14㎞ 4:08

15㎞ 4:07

16㎞ 4:04

17㎞ 4:07

18㎞ 4:02

19㎞ 4:11

20㎞ 4:06

21㎞ 4:08

+α

合計 1時間27分52秒

平均 4:08/km

言い訳をさせてもらうと、まずスタートが例年と違いBスタートだったというのが少し厳しかった。

いつもはAスタートでサクサク進めるのだが、Bスタートだと最初がかなり詰まる。

最初の1㎞の4:23は、かなりのスローペース感があった。

が、仮に最初の1㎞がそうであったとしても、全く86分切りには届かない走力だったのは間違いない。

その後にペースアップができなかったのだから。

13㎞くらいまでは意識的に抑えて巡航した。

とにかく体力も精神力も使わないように、「この人、良いペースで走っているな~。なんか超ベテランランナーっぽいな~」という人を探してひたすら後ろについて行った。

が、そもそも昨年と比較すると「良いペースで走っているな~」と感じるペース自体が昨年よりも3~4秒くらい遅かった。

とくに10㎞~14㎞地点で自分の走力が昨年よりもだいぶ低いことを痛感させられた。

おそらくだが、昨年も終盤で後ろにつかせて頂いたランナーを10㎞地点で見つけた。

ガシガシ力強く走るフォームのランナーだ。

歳はおそらくだが、私よりも1周りは上だろう。(もっと上かもしれない。)

昨年はキロ4:05前後で走っていて、最終盤で私を抜き去って行ったランナーだ。

頻繁にタイムを確認しているところにベテランの匂いがぷんぷんする。

レースペースをものすごく気にしているのだろう。

その仕草を見ていると、後ろにつく人としては安心感がある。

11㎞ちょうどの地点で手袋を外し、それをズボンのポケットに丁寧にしまう。

一連の流れに相当レースに慣れている雰囲気が出ている。

12㎞ちょうどの地点でどこから出て来たのか、エネジージェルを取り出し上手に飲む。

そして、そのゴミをしっかり給水地点で捨てる。

給水地点までしっかり把握していないとできない行為だ。

「この人についていけば…、そしてあわよくば最後の最後でこの人を抜き去れば86分切りの希望が繋げるかも!!」

と、このランナーに希望を託し、13㎞地点まで進んだ。

鯨井中学校の折り返し地点。

このガシガシベテランランナーの知合いの人が応援に来ていた。

「おーい〇〇さん、応援ありがとう!行って来まーす!!」

とガシガシベテランランナーさんが、大きな、そしてまだまだ余裕のありそうな声で叫んだ。

そして、ペースがわずかながら上がった。

なるほど、ここか。

ここから後半ペースアップするのか。

私も気合を入れ直して、ガシガシベテランランナーに「絶対について行ってやる!」と覚悟を決めた。

「ここから4:00切りのペースが来るぞ!!」

と待ち構えた。

が、これが誤算だった。

ガシガシベテランランナーさんのペースはわずかに上がったが思ったよりも上がらない。

昨年はこの人は後半、じわじわと周りのランナーを抜いて行った気がする。

が、今年はむしろじわじわ抜かれている。

「こ、これは・・・。ガシガシさん、今年は調整不足で設定タイムを落としているのか!?」

付いていく人を変えないとマズイかも・・・

しかし、自分の脚もそれほど残っていないような気がするし・・・

21㎞走を今年はほとんどできていないので、脚がどの程度残っているのか自信がない。

残りの距離と脚の感覚がいまいち分からない。

このあたりの迷いにも、今年のトレーニング不足、走力不足が出ていたのだろう。

「とにかくこのままでは、86分切りの希望は0だ。やれるだけやるしかない。」

15㎞を前にガシガシベテランランナーさんの前に出た。

残りの距離をどのくらいのペースを刻めば86分切りができるのか、余裕がないのでそんなことは計算できない。

が、とにかく4分切りをいくつか連発しない限りは無理なのは間違いない。

そのつもりでペースアップをしたのだが4分切りが出ない。

昨年は後半のいくつかの区間で4分切りを出せていたのだが今年は出ない。

18㎞区間は特に気合を入れて自分に鞭打ったのだが4分が切れない。

この時点で86分切りは流石に無理だと悟った。

あとはどこまで耐えられるかになる。

明確な目標がなくなった後がキツイ。

「まあ残りの距離は無理ないペースで楽しんで走れればいいかな~」

という甘い誘惑が次から次へと心の奥底から沸いて来る。

それに負けるに値するほど脚も重くなっている。

周りをみると、明らかにペースを落としてジョギングに切り替えているランナー。

立ち止まって太ももを叩きながら走ったり、歩いたりを繰り返しているランナー。

そういうすでにレースをあきらめたランナーもポツポツ見える。

「自分もそっちの方に・・・」

という甘い誘惑が頭の中を駆け巡る。

そして、身体も精神も擦り減らされている地点で現れる川越マラソン最後にして最強の壁、地獄の上り坂「今成陸橋」。

この上り坂で残りの脚をほとんど使い切る。

ほとんど使い切ってすぐにゴールならいいのだが、微妙に2㎞ちょっとの距離が残っている。

「脚をすべて使い切った…」と自分で認めてしまえば、それこそ残り2㎞は4:20台とかにペースは落ちるだろう。

「それでもまだ最後まで振り絞れる!最後まで出し切れ!」と自分に鞭を打てば、もしかしたらペースアップもできるかもしれない。少しでもタイムを縮められるかもしれない。それが次の年に向けてのトレーニングに繋がるかもしれない。

86分切りという明確な目標を失った後は、ある意味で本当に自分自身との戦いになった気がする。

目標を失ったら、後は流してしまうオジサンなのか。

目標を失っても、最後の最後まで振り絞れるオジサンなのか。

ゴール手前300mくらいに毎年家族が応援に来てくれている。

その地点で諦めた姿は見せたくない。最後の最後は本当にそれだけで走った。

家族の応援を受けてからゴールまで何とか1人にも抜かれずにレースを終えることができた。

今年のレースで唯一、自分が納得できたのはここくらいだろうか。

「最後の300m、あきらめずになんとか踏ん張れたような気がする」それだけが少しだけ自分自身を評価できる点かもしれない。

それ以外は大惨敗だ。

スタートでツッコめなかった部分も、ペースが遅いと認識しながらも残りの脚が不安でペースアップできなかった部分、ペースアップをしたにも関わらず思ったよりもスピードが出なかった部分。

全てはトレーニング不足に原因はある。

レースに入る前から完全に勝負は決まっていた。

市民ランナーにとっては、「トレーニング不足=日々の過ごし方の甘さ」とも言えるのかもしれない。

「歳を取る」ということは体力の低下もあるかもしれないが、それ以上に「歳も取ったんだから仕方ないか」という自分への甘えが加速する、という部分もあるのかもしれない。

むしろ、そっちの甘えの方が問題なのかもしれない。

今年のレースを終えて、「来年こそは」という気持ちは残っている。

「来年こそは日々の生活をもっと節制して、こういうトレーニングをして…」という気持ちがまだ残っているのは良かった。

今年もそれなりのトレーニングを積んできたつもりだったが、自己ベストから2分弱遅いという結果。

大惨敗の2025年だった。