3児のパパがランニングをすることの難しさ
2019年現在の芋太郎の3人の子供の状況。
長女(5歳)幼稚園の年中、「ああ言えばこう言う」年頃。
次女(2歳)幼稚園前、世の中のすべてにNoを突き付けるハイパー嫌々期、天パ。
長男(0歳)目の前のモノは全て口に入れることがモットー。ほふく前進のラップはおよそキロ8時間。
ひとことで言えば、超手がかかる時期、ということだ。
妻の様子を見ると、常にマヌーサとメダパニとラリホーをかけられている状態といっても過言ではない。
この状況の中、たとえ仕事でも家族を100%妻に任せておくことは危険だ。
おそらく妻がパーティから抜けてしまう。
もちろん芋太郎も仕事は優先させてもらっているが、全部が全部、自分勝手に仕事優先とはいかない。
家族の一員としてできることは可能な限りやらなければいけないのは当たり前なのだ。
この状況の中、ランニングまでやるとなると結構危うい。
ランニング、その響きは日本人にとっては清く正しく美しく響く。
ともすれば「俺、今からランニングしてくるわ。」と当たり前のように家族生活を犠牲にして、そそくさと外に出ていってしまう人もいるのかもしれない。
家事、育児をやっている時間はないよ~、だってランニングをしなきゃいけないんだから。
清く正しく美しく響くランニングという言葉に、何か特別な正当性を感じている人はいないか?
もしそうなら、3児のパパ芋太郎は警鐘を鳴らす。
アナタが清く正しく美しく感じているランニングも、奥さんに取ったら「友達と飲んでくるわ。」「ちょっくらパチンコうってくるわ。」とそれほど変わらない響きかもしれないんだぞ?
ランニングは金を使わないから良い?健康にいいから良い?
否、奥さんにとっては「家事、育児を放棄する行為」であることは変わらない。
長女のミ―坊は朝食を前に「朝はごはんじゃなくてパンじゃないと食べれない。」と。
次女のシー坊は食卓にもつかず、部屋の隅っこで膝を抱えて「すみっコぐらし」と妙なだみ声で連発し動かない。
長男のマー坊は部屋に落ちているあらゆるものをサイクロン掃除機ばりに口にいれては「あばばば」と音を立てる。
この状況で走りに行けるだろうか。
朝食は誰が食べさせるのだ?
洗濯物は誰がするのだ?
オムツは誰が変えるのだ?
幼稚園の支度は誰がするのだ?
妻だ。
その全てを妻に押し付け、芋太郎、オマエはランニングに出かけるのか?
いくらなんでも、それはムリ。
どれか一つはやらないと、芋太郎が家族である意味がないだろう。
普通に生活していたのでは、3児のパパがランニングをすることなど無理なのだ。
到底、3か月でハーフ90分切りなど夢のまた夢だ。
3児のパパでもランニングはこうすればできる!
3か月限定で、という断りを付けたうえで芋太郎が何とかランニングをできている工夫を同じ境遇にいる3児のパパたちに授けよう。
①家族が寝静まっている時間に走る。
これは大鉄則だ。
さきほど書いたような朝の育児のラッシュ時に悠々と走ってるなんて、命知らずもいいところだ。
家族が寝ている時間。
芋太郎の場合は朝だが、夜でもいいだろう。
自分が走っても家族生活に極力影響しない時間にランニングをするべきだろう。
そしてもちろん、家族が起きてからは家事・育児でできることは家族の一員として当たり前のように行うのだ。
②家族の都合にランニングを持ち込まない。
「今日は朝、ランニングするから昼から出かけよう。」
「夕方、10㎞走りたいから早めに帰ってこよう。」
休みの日に平気でこんなことを言ってはいないか?
家族の都合にランニングを持ち込み、自分のランニングに合わせて家族時間を決めてしまう。
逆だ。
家族の都合に合わせて、自分のランニングを組み立てなければいけないのだ。
今日は家族で買い物に行こう。
買い物?
その程度だったら、俺のランニングに合わせてちょっとくらい早く切り上げてもいいよね?
ダメだ。
その発想がアナタの奥様の心の器を怒りで満たしていく。
たまには出かけたい?
じゃあ今日は15㎞走で時間がないから近場な。
はい、奥様の心の器は溢れました。
家族の都合が優先だ。
3児も抱えて自分のランニングを優先するなんて、よほど度胸があるか、奥様がマザーテレサ級の心の器をもっているかのどちらかだ。
③妻の前でランニングの話をしない。
奥様もランニングが趣味な人なら全然いい。
お互いランニングの話で盛り上がることだろう。
でも、渡辺康幸も知らない人間にランニングの話をしてどうなると言うのだろうか。
奥様はきっと自分の話を聞いてほしい。
今日は10㎞を設定どおり走れただの、新しい靴の感触がどうだの、そんなことを聞かされたところで困る、つまらない。
ただでさえ、ランニングによって家族生活が浸食されていると感じている奥さんだったら、ランニングの話をすればするほどストレスはたまることだろう。
「今日は良いランだった~。今シーズン、最高タイム出たわ。あぁ~良いランだったからシャワー浴びたらビール飲もう♪」
次の日、アナタのタクミレンとターサージールはこの世に残ってはいないだろう。
④土日のどちらかは休足日にする。
土日こそ思い切り走りたい。
分かる。
その気持ちはわかるが、芋太郎と同じ境遇にあるパパさんランナーたちはその思想はダメだ。
土日のどっちかは完全に休足日にしよう。
完全に休足日にして、完全に家族最優先で過ごす日にする。
その一日で妻のランニングに対する憎しみエネルギーを減らすことができる。
そうやってだましだまし憎しみエネルギーを減らしながら、3か月後のレース本番まで耐えるのだ。
何とか心の器が溢れる前にレース本番までたどり着く。
年がら年中走っている人は分からないが、3か月限定なら何とか妻も我慢してくれる。
芋太郎の場合は基本土曜日に追い込む。
そして、日曜日は完全に家族優先にする。
週一日しか休みがないときは仕方がない。
その一日は完全に休足日にするか、家族に影響が出ない程度のトレーニングを朝のうちに済ませてしまう。
⑤大会は年に一回しか出ない。
年に何回も大会に出てしまうと家族を犠牲にしてしまう期間が長くなってしまう。
大会当日だけではない。
大会に向けたトレーニングで3児のちびっこ達を奥さんに任せてしまう期間が長くなってしまうのだ。
芋太郎の場合は、もともと年に一回しか出ないが、ぜひ小さい3児を抱えるパパさん達は芋太郎を習って年に一回だけの大会を許してもらおう。
ふざけるな!俺は走らないと生きてる意味なんかないんだ!大会の数だって減らさないぞ!
というレベルでランニング中毒者になっている人は、芋太郎の範疇ではない。
もう、とことん突っ走ってくれ。
そんな人は緑色の届け出も怖くないのだろう。
いっそのこと緑色の届け出をゼッケンの位置につけて走ったらいい。
まとめ
ハッキリって世の中には3児を抱えながら家族も大事にして、仕事もバリバリこなしてサブ3とか達成しちゃってる化け物みたいな人もいると思う。
こんな記事を偉そうに書いている芋太郎なんて小物中の小物だ。
ただやっぱりそれ相応のレベルでランニングに取り組んでいる人は、かなり時間をランニングで使っていると思う。
もちろん、体力も精神力もランニングに注いでいる。
芋太郎のような小さい3児を抱えてしまうと、ランニングと言えども、やはりそれは自分のエゴになってしまうこともある。
市民ランナーにとってのランニングはやはり稼ぎにならない時点で、どこまで行っても趣味なのだ。
生きる意味、哲学、そういうレベルで真剣に考えている人もいると思うが、ランニングに興味がない家族からしたら知ったこっちゃない。
ただ走るのが好きな家事・育児もしない無責任パパと映るだけかもしれない。
まあ芋太郎は幸いにしてランニングが趣味にもなっていないし、生きがいにもなっていないので、案外冷静に家族とのバランスがとれているのかもしれないが。
子供が大きくなれば、3児のパパでも時間ができるだろう。
奥様も心の器に余裕ができるはずだ。
そうなってから、また生粋のランニング中毒者に戻るのも素晴らしいではないか。
今回の記事はずいぶん偉そうなことを書いてしまった。
一年後、芋太郎が緑色の紙をゼッケンにして走っていたら、皆さんどうぞ笑ってやってくれ。