今シーズン初の坂道ダッシュ。上り200m×8本、下りジョグの結果。
と、記録を見せられても坂道ダッシュは分かりにくい。
いつも通りラップを表示しても、結局200mダッシュ+200mジョグだから、1キロラップだとやっぱりよく分からない。
本当にこの芋野郎は坂道ダッシュなんてやってるのか?
疑われてもしょうがない。
これならどうだ?
ペースの青い山を見て欲しい。
ちゃんと8個あるだろう?
新潟県阿賀野市に五頭山という五つのこぶみたいになっている山がある。
五頭山の5つのこぶにちょうど3つを足せば、今日の芋太郎の坂道ダッシュの本数だ。
な~にが「ちょうど」なんだって?
書いてる本人も分からない。
1000m×5本のインターバル走に比べれば、苦しさ的にはまだマシだが、心肺機能を鍛える系はやっぱり苦痛だ。
4本目くらいですでに辞めたい。
すでに「今日は初坂道ダッシュだし、慣れてないから5本にしておこうかな。」との戦いだ。
5本目が終われば「終わろうと思ってたより1本増やして6本でやめようかな。1本余計に頑張ろうかな。」と。
いつのまにか8本予定が5本予定に変わっていたりする。
何と都合の良い思考回路だろうか。
実際はサボっているのに、余計に頑張っていると思い込む思考…。
幸いにして今日はそれでも8本目まで耐えられた。
理由は次に示す。
坂道ダッシュは完全に変人と化す!覚悟せよ。
芋太郎が坂道ダッシュに選んでいる坂道は、中学生の通学路に当たる。
まあ田舎道だし、朝6時台に始まっているからそれほど通る中学生もいないのだが。
さらに過疎化著しい住宅地の片隅にある坂道なので、老人たちの散歩ロードになっている。
お爺ちゃん、おばあちゃんたちの散歩タイムはバチっと重なっている。
坂道ダッシュは一見して変人だ。
中学生にとってはいつもの通学路の坂道を自転車で颯爽とおりていくと、向こうから必死の形相のオッサンがわりと速いペースでがむしゃらに走ってくる。
変質者!?
思われても仕方がない。
下手すりゃ、その日の学校で話題になるだろう。
「変なオッサンが奇声を発しながら坂道をダッシュで登って来たぞ!」と。
これならまだマシな方で、散歩中のお爺ちゃんおばあちゃんの方がリスクは高い。
まず対面すれ違いならリスクは低い。
100m程度先から認識してくれればきっと「あぁ、あの人ランニングしてるんだなぁ~」となるだろう。
マズいのは後ろから抜くときだ。
まず、驚かせる。
わわっ!
となって、次に何を思うか?
ひったくり!?
とか
空き巣!?
逃げてるの!?
とか
上下黒のウェアで黒系の帽子なんかかぶってる日なんか、マジで漫画に出てくる泥棒にしか見えないのではないか…
冗談みたいな話だが疑われる可能性、ゼロの話ではないぞ?
びっくりした状態で人は冷静な判断などできなくなるのだ。
終わろうと思っていた5本目で、そのリスクが発生。
そうすると芋太郎的にはそのリスクを排除しなければいけない。
変人認定を取り消すために、もう一度戻るのだ。
「あぁ、この人は坂道で走る練習してるのか~」
と、分かってもらうために追い抜いたお爺ちゃんおばあちゃんと対面ですれ違わなければならない。
そうすると、結局もう一本だ。
止めようと思っていた最後の一本でこの現象が起こると、もう一本やらないとひったくりとか、空き巣とか、そういう疑いのリスクを消すためにもう一本走らないといけなくなる。
考えすぎなのも分かっているし、実際のところ地獄の坂道ダッシュ時にこのような意識が大きく占めるわけではない。
意識の95%は「もう止めたい」であることは変わりない。
しかし、こういう変な自意識が最後のもう一本へ芋太郎がいざなうことがあるから、散歩中のお爺ちゃんおばあちゃんに感謝しなくてはならない。
芋太郎のように辛いのが大嫌いで根性もない中途半端ランナーは、意外にもこういう細かい事象でその日の追い込み方が変わるのかもしれない。
最後に言っておく。
だいたい平日の通勤時間とか通学時間にインターバルだのダッシュだのやっているオッサンたちは、普通の人たちの日常からかけ離れた光景を作り出していることを忘れてはならない。
そんなに荒い呼吸音を響かせながら、キロ3分40秒前後で追い抜いてきたら誰だって変人だと驚くだろう?