小さい範囲で小さい事の1位なる

先日、久しぶりに自分より10歳下の人から僕のランニングに対する姿勢について

「いったい何を最終的に目指しているんですか?」

と質問されました。この種の質問は僕くらいの走力のランナーでもたまに聞かれることがあります。

なので以前にも記事にしているような気がします。

今回の僕の回答はこうでした。

「今は大会にでるわけでもないので、あくまでタイムだけ。加齢に抗いながらタイムを出していくのは難しいし、大変だけどやりがいある。それをやめるのはいつでもできるし、やめたらつまらなくなる。」

「可能な限りハーフ90分切りは続けていきたい。50代、60代になっても。」

お酒を飲んだり、ラーメンを食べたり、お腹いっぱいまで食べないのか、それを我慢するのは辛くないのか、という質問もされました。

「お酒が好きな人は毎日飲むだろうし、ラーメンが好きない人は毎日ラーメンを食べるかもしれない。お腹いっぱいまで食べることが好きな人はお腹いっぱいまで食べるかもしれない。僕の場合はハーフ90分切りを続けることが生涯の目標だし、お酒やラーメン、お腹いっぱいまで食べること以上に大切。その目標に対して執着があるし、依存しているだけなので我慢している感覚はさほどない。それをやめた時の方が喪失感があると思う。」

この質問をしてきた人は、中学生の時3000mで県6位になった経験がある人なので、最後にこう付け加えておきました。

「(質問者の)〇〇さんのような若い人に今、『走り』で勝っているという喜びかな。完全に自己満足だけどね。」

鬱陶しいおやじ全開で回答しときました。嫌われる勇気です。

ケチなことを言うようですが、僕は常々『小さい範囲で小さい事の1位なる』ことを大切にしています。仕事においては、例えば「時間をしっかり守る」「プレゼン資料の作成がうまい」「プレゼンがうまい」「表計算が速い」「計画書の精度が高い」「ある分野の知識を1番持っている」とか何でもいいので1位なることを大切にしています。実際1位になれなくても。

なのでランニングでも親族の中で、友人の中で、職場の中で、過去ではなく今1位になることを大切にしています。ちなみにSNSのランの知り合いは除外します。これはとんでもない人だらけですからね。

親族や友人、職場の小さい範囲の中でもいいから、頑張っているあの人より、自分より若いあの人より『ランニングでは負けていない』というのは、僕にとってはとても誇らしいことなのです。

 

【記事:芋太郎ブログ富土通(フドツウ)】