家族の前ではお酒を飲まない。アルコールを摂取しないと決めてから、おおよそ1ヶ月になります。
家族というのは妻と子どもたちです。ちなみに仕事上では、飲まなくなって2年以上経過しています。忘年会などの集まりでも、もちろん飲みません。
現在、お酒自体1ヶ月飲んでいません。
家族の前で飲まないと決めた理由は、飲んだ時に「夫婦喧嘩」をするからです。普段、わたしたち夫婦はまったく喧嘩をしないのですが、年1回お互いストレスが溜まっている時に、夫婦喧嘩をしてしまうのです。とくに妻のストレスが溜まっている時だと思います。
「夫婦喧嘩は犬も食わない」という言葉がありますが、意外にも根深いものです。妻はまったくお酒を飲まないので、わたしがお酒を飲むことを昔から少なくとも良くは思っていません。もっとも、わたしのお酒の飲み方が良くないからでしょう。わたしが悪いので、しょうがないことです。
普段からわたしに抱いているストレスが、わたしがお酒を飲んでいる時に、いきなり角の立った言い方で出てきます。わたしも飲んでいますから、攻撃的な言い方で返してしまいます。
(飲酒のことで喧嘩をしているわけではありません。)
かなりの大声で言い合います。それはもう、みっともないものです。それを見て、子どもたちは泣いてしまいます。ここ2年で、年に1回あります。本当に申し訳なく、情けないと思います。
お互いに対するストレスに関しては、この際置いておいて、わたしが家族の前でお酒を飲むこと自体、マイナスになってもプラスになることはありません。
もう時効ですが、20歳前からストレスでお酒を大量に飲む習慣がついてしまったわたしは、今でこそ日常的にお酒を飲みませんが、一度飲んでしまえば泥酔するまで飲んでしまうことがあります。
アルコール依存症の予備軍であるとわたしは自分で認めています。すなわち、アルコール乱用です。このアルコール依存症の予備軍は日本では1000万人弱いると言われています。問題飲酒のある方でも、だいたいの人が「私は違う」とそう信じているだけです。
俳優のブラッド・ピットはアンジェリーナ・ジョリーとの結婚を機にお酒以外のタバコ、マリファナなどの薬物は一切やめたようです。しかし、お酒だけはやめられなかったようです。以前の記事にも何度も書いていますが、お酒(アルコール)は合法なだけであって、強力な薬物であることが、このことからもよく解ります。薬物の中でも、身体的依存、精神的依存、耐性、全てにおいて最強クラスです。
ブラッド・ピットはアンジェリーナとの離婚後、アルコール依存症を抱える人が集まる自助グループ、アルコホーリクス・アノニマス(AA)に参加するようになったそうです。1年半通い、アルコール依存症を克服しました。
「酒は自分自身から逃げるためのもので、必要だった」と告白。「自分自身が誇れないような選択をしたとしても、その間違いを評価することで自分を許すことができることに気づき始めた。過去の過ちから知恵を得ることができ、それが他のことにつながっていることに気づき、過ちを評価できるようになった」と語り、アルコール依存症の過去と向き合い、認めることで克服してきたことを明かした。
出典元:日刊スポーツ
アルコール依存症についての知識がまったくない人にとっては、「何言ってんだ」、「カッコつけやがって」なんて思う人もいるかもしれません。わたしだって最初から飲んでいなければ、きっとそう思います。
しかし、一度口にしてしまい、飲酒習慣がつくと安易に快楽を手に入れることのできるアルコールという罠にかかってしまうのです。そうすると、なかなかそこから抜け出すのには困難を極めます。
アルコール依存症の人が再飲酒をすれば、たちまち病院のベットの上か、死亡することもあります。飲酒量をコントロールできなくなってしまうのです。これは根治することがないと言われています。飲まない生き方を選択するしかなくなるのです。
非常に怖い病気なのです。
お酒を日常的に大量に飲む人は非常に危険です。アルコール依存症への階段は「登りはあっても下りはない」と表現されたりします。また依存症の人の再飲酒については「飲んで死ぬか、飲まずに生きるか」と表現される専門医もいます。まさに覚醒剤です(個人的な意見です)。
今回のテーマとは少し話が脱線してきました。とにかくわたしの家族にとって、わたしがお酒を飲むことはマイナスです。少なくとも今回決めた「家族の前ではお酒を飲まない」というのは続けていきたいと思います。
断酒を1ヶ月間続けて、お酒に寛容な?違うか、お酒にルーズなわたしが家族の前で飲まなくなったことにより、妻の食事作りが遅くなることがなくなりました。感謝。お互いルーズなところが解消され、明らかにプラスになっていると少なくともわたしは思っています。
近年、社交の場や外でお酒を飲む習慣がないわたしにとって「家族の前ではお酒を飲まない」ということは、ほとんどお酒をやめることになります。
アルコールは病気や怪我の治りを悪くします。今年の7月上旬に鼻口蓋管嚢胞の摘出手術をしているわたしには、とても良いタイミングであるとポジティブに考えられます。もちろん、ランナーの端くれとしても大きなプラスです。ひいてはわたしの人生に大きなプラスになることでしょう。
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実はこの決断ができるようになるまでには10年かかりました。30歳代前半までは平日、缶ビールやチューハイを毎日1リットル程度、週末にはワイン1本プラス缶ビール0.5リットルくらいは飲んでいたと思います。
この頃は週1日でも休肝日をつくるのが難しい状況でした。仕事が終われば、飲みたいという飲酒欲求が強く、渇望感が強い状態でした。それでも繰り返し、飲まない日をつくることによって飲酒欲求は低下していきます。なので、断酒や節酒に取り組んでいる方に言いたいことは「焦らないこと」です。
最初は飲めないストレスが強くかかると思います。なので、焦らず段階を踏むことが重要です。飲む頻度も量も徐々に減らしていけば良いのです。最初は頻度を減らしていくことがいいかもしれません。
アルコールは前述したように、合法薬物です。それも薬物の中でも、身体的依存、精神的依存、耐性、全てにおいて最強クラスです。一度飲んでしまえば、泥酔するまで飲んでしまうこともあるでしょう。最初は一定期間での飲酒量を減らすために飲酒頻度を減らせば、徐々に依存性が落ちていきます。
「もう飲めない」は「もう飲まなくていい」となり、「飲めないのは惨めだ」は「飲まない方が明らかに、そして確実に良い」という発想にいずれなります。社交の場で「飲まないのはつまらない」「飲んだ方が楽しい」と信じているのは自分なのです。
事実は、飲んでも飲まなくても、有意義な社交の場は変わらないのです。その価値はけっして変わらない。そういう私もまだまだ飲まないことをプレッシャーに感じることもあります。
イギリスでは「ソーバーキュリアス」という言葉があるようです。お酒を飲めるのにあえて飲まない生き方です。「ソーバーキュリアス」を実践して飲まない幸せを手に入れたいと思います。
最後に、現在お酒を飲んではいませんが、お酒をやめたわけではないので、このブログの管理人「芋太郎」氏、たまに登場する「N介」氏、たまには飲みに行きましょう!
この記事を最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。
そして「お酒をやめたわけではない」と誠に矛盾した記事で御免なさい。
この矛盾がアルコールの正体なのだと思います。
【記事:芋太郎ブログ富土通(フドツウ)】