imotaro

なにかの新興宗教みたいなタイトルで申し訳ない。

いや、謝る必要もないかもしれない。

ランニング中毒者にとって、もはやランニングは宗教のようなものかもしれない。

神(ナイキやアディダスやアシックス)にお布施をする(=厚底カーボン入りシューズなどを買う)。

救われる(自己ベスト更新)ために、修行をする(トレーニングする)わけだ。

 

いや、でも実際ランニングは人生を豊かにする。

本日、妻に用があり私が長男の幼稚園バスの見送りをした。

バスの運転手さん、予想するに60代半ば。

どうやら妻が私のことを運転手さんに話したことがあったらしい。

突然、私にむかってバスの中から声をかけてくれた。

 

「お父さん、今年も川越マラソン出るの?」

と・・・

 

妙に嬉しくなり、キャラにも似合わず爽やかな声で

「出ます、出ます!運転手さんも出られるんですか?」

と聞いてしまった。

 

思わず聞いたのには理由がある。

明らかに体が締まっているのだ。

60代の体ではない。

そして、顔は真っ黒に日焼けしている。

さらに眼鏡だ。

眼鏡が眼鏡市場で売っているスポーツ用の眼鏡みたいだった。

眼鏡のパリミキでも売ってるのかもしれないが。

運転手さんは続けてこう言った。

「私も出るよ。今はこの暑さだから平日は10㎞くらいのウォーキングレベルだね。でも土日はまあまあ走ってるよ。」と。

二言目にはトレーニング内容を話すところが完全にランニング中毒者である。

そして、内容だ。

まさに今の私と同じではないか。

10㎞のジョギング。(辛過ぎて5㎞+1㎞+1㎞+1㎞+1㎞+1㎞とかもあるけど。。)

それをこの年で平然とやってのけるとは・・・

いや、私と同じではない。

最後の言葉を聞き逃してはいけない。

「でも土日はまあまあ走ってるよ。」

この言葉だ。

「平日は10㎞くらいのウォーキングレベルだね。」とサラッと発言してしまう人だ。

「土日のまあまあ」は普通の人間の考える「まあまあ」とは程遠いはず。

おそらくだが、土日のどっちかは20㎞ランをやってるのではなかろうか・・・

この暑さの中で。。

 

今日は、朝から同士を見つけたようで非常に気持ちよかった。

ランニングの記録はまた別の記事に譲ろうかと思うが、気分が乗っていたためか、ここ最近では一番楽に走ることができた。

ランニングの同士を見つけると、かくもパワーをもらえるものなのか。

 

いや、待てよ。

それだけじゃない。

運転手さんも私のことを同じランニング仲間だと思ってくれたかもしれない。

同じランニング仲間の子どもということで、私の長男に特別に声をかけてくれるかもしれない。

長男はそれによって幼稚園に行くのが楽しくなるかもしれない。

大人と話すのに抵抗がなくなるかもしれない。

それらが作用して、将来長男は何かしらの分野で成功を収めるかもしれない。

そしたら、「父さん、今まで世話になったから恩返しだ。」と言って、老後を心配しなくていいほどの金銭的な何某を恵んでくれるかもしれない。

いや、少し冗談が過ぎた。ふざけが過ぎると野暮というものだ。

 

後半は冗談として。

真面目は話、ランニングを通じて普通は知り合うこともない人たちと知り合え、お互いに励まし合える。

それだけでも「ランニングは人生を豊かにする」と言ってもいいのではないだろうか。

私が励まされたように、運転手さんも気持ち良く今日のトレーニングを終わらせてくれていれば、私がランニングをしている意味も少しはあるような気がする。