ランニングブログで収益を目論むときの心構え

純粋な人たちを騙すという後ろめたさを捨てろ!

おそらくランニングブログを書く人も見る人も純粋だ。

私のような最初から収益を目論んでいる人など皆無に近いだろう。

でも、真面目な人たちだからブログとの親和性も強い。

地道に走り続けるのがランニング。

地道に書き続けるのがブログ。

ともに地道にやり続けることで成果が出る。

ランニングブログを続けている人がふと気づく。

ふと私のようないやらしいヤツから余計な情報を手に入れてしまう。

「あれ?これだけ読まれているんだったら、もしかしたら広告収入狙えるんじゃ…」とか。

「あれ?これだけファンがいるんだったら、オンラインサロンとか集められるんじゃ…」とか。

すると途端に文章の書き方が変わる。

異様に何かの商品をおススメする記事ばかりに変わる。

もしくは深夜のテレビショッピングのように異様に売り込むような口調に変わる。

自分なりには爽やかさを消さない様に誘導しているつもりでも、そのわざとらしい爽やかさが逆にいやらしさを感じさせる。

罪悪感があるからだ。

後ろめたさがあるからだ。

今までは純粋に自分の主義・主張やランニングの記録、大会の結果を伝えてきたのに、それを楽しみにしているファンの人にモノを売りつけてしまう、という後ろめたさ。

何というかファンを騙すような感覚。

すると途端につまらなくなる。

読む方ももちろん、書く方も何かに束縛された感じでつまらなくなる。

そしてブログを辞める。

仮にブログで収益を少しでも狙っているんなら、その後ろめたさは捨てないとダメ。

だってコンビニのバイトするのに後ろめたさ持つのか?

あぁ、こんな小さい子がチョコを買うのにお金を取っちゃうなんて…。

自分の作り笑いは偽りだ…。

いらっしゃいませ、なんて偽善だ…。

そんなこといちいち思ってたら、金なんて稼げない。

ブログも一緒。

そもそも価値あるものを提供しているんなら、金はもらって当然なのだ。

私なんて金ほどきれいなものはない、とすら思ってる。

金はランニングでかく汗と一緒。

レースで流す悔し涙、喜びの涙と一緒。

等しく価値があり、等しくキレイだ。

だから堂々と金を稼ぎに行こうではないか。

マラソンは順位やタイムが勲章かもしれない。

ブログは訪問数や広告収入が勲章なのだ。

同じである。

同じならば恥じることはない。

罪悪感など持つ必要はない。

堂々と売りたいものを紹介して、堂々とグーグルアドセンスをクリックしてもらおう。

どうせサーっと引く

今まで爽やかだったブログが何か金の匂いを少しでも醸し出したとき、どうせ今まで読んでくれていたファンは引く。

それまでが爽やかで無償の心で書いてれば書いてるほど、思惑が見て取れた瞬間に引く。

私は姉妹ブログでソレを経験している。

広告自体は運営当初から続けていたので、そうでもなかったがオンラインサロンの呼びかけと同時に訪問者数がサーっと引いた。

「何だよ、オマエ。結局、金かよ。」

おそらくその気持ちだろう。

もうしょうがない。

そういう人はそれが主義主張の根本なんだから。

そういう人を追っかけて、そういう人を気にして、「いや、自分、そんなつもりは…」なんて無駄中の無駄である。

そんなの気にしてたら、ブログで小遣い稼ぎなんて絶対にできない。

引く人は引くのだ。

引いた分はまた新たに集めればいい。

たしかにショックは受ける。

こんな芋太郎でもあきらかにサーっと引かれたときは悲しくなった。

タイタニックで主人公が海の底に沈むシーンの10倍は悲しくなった。

だからこそ、今回の芋ブログでは最初から宣言している。

私は金目的でこのブログを始めているのだ!と。

そうやって宣言してれば、いざ何かを広告宣伝したとしても「あ、来た。」と思われるだけ。

これだけ金、金、金、と芋太郎が叫んでいるにも関わらず、広告宣伝の記事を書いた瞬間「そんな人だと思わなかった!もうこのブログは読まないわ!」なんて人がいたとしたら、それはそれで驚きだ。

でも、ショックは受けない。

変な人、と思うだけ。

もし、今現在ランニングブログを続けていて、芋太郎にそそのかされて広告収入を狙おうと思っている人。

広告放った瞬間、人はサーっと引く。

でもそれはしょうがない。

今までコメントくれてた人やメールをくれてた人が離れていく。

でもそれはしょうがない。

ウェブ上で仲良くなった人が何人かは疎遠になるかもしれない。

でもそれはしょうがない。

ランニングに没頭し始めたとき、今までの飲み仲間の何人かと離れたであろう?タバコを一緒に吸ってた仲間と離れたであろう?

それと一緒。

次のステップに進むために、そのステップを共有できない人はしょうがないのだ。離れてもしょうがないのだ。

私は正面からお願いすることにする!無駄だと分かっていても。

どうせ何かを売ろうと思ったらいやらしくなる。

私はもう正面からいやらしくお願いする。

正面からいやらしくお願いしたって、遠回しにキレイな言葉を繕ってだましだまし売りつけようとしたって、どっちにしても買わない人は買わない。

Noという人はいつまで経ってもNoと言う。

今回私はこのブログを読んでくれている奇特な方々にお願いしたいことがある。

記事下のブログランキングのボタンを押してほしい。

Facebookでこの記事を読んでいる人はわざわざリンク先のブログ記事まで行ってまで押してほしい。

ハッキリ言う。

押すことで皆さんのメリットは一つもない。

もう一つ言う。

押してもらっての私のメリットは日本ブログ村というランキングサイトで少しだけ順位が上がるだけだ。

順位が上がることでの私のメリットはというと実はほとんどない。

おそらくほんの少しだけ訪問者数が増えるということだけだ。

Facebook広告チートを使用している私からすれば、そのほんの些細な訪問者数にあれこれこだわるのもおかしいのだ。

Facebook広告チートはこのランキング村からの流入と比べればぜんぜん大きいはずだからだ。

Facebook広告チートとは?

iMopedia(芋ペディア)

でも、もう一度言う。

押してほしい。ブログランキングのボタンを押してほしい。

これだけ正面からお願いしたって押してくれる人はほとんどいない。

これで押してくれる人なんてマザーテレサ級に優しい人か、こんな芋野郎のファンになっている変わり者か、それくらいだ。

結局、正面から頼もうが、色々画策しようが「な~んかいかがわしいな?」って思えばほとんどの人が承諾してくれない。

そんなものだ。

だったら正面から頼んだ方が面倒くさくない。

手間もかからない。

そういうことなのだ。

だから最後に言っておく。

もうどちらでもよい。

下のボタンは押さなくてもいいから、今後、私が勧める商品はぜひ買ってもらいたい。

買わないんだったら下のボタンをせめて押してほしい。

せめてもの憐れみを見せてほしい。