2日続けての最悪のラン…
昨日はブログの更新を休んだ。
土曜日のハーフ走リタイアで非常にモヤモヤしていた。
それを少しでも払しょくしようと芋太郎は日曜日も朝5時に起きてランに出かけた。
当初はリタイアしてしまったハーフ走をもう一度やろうと思って走り始めた。
当然、タイムトライアルではなくビルドアップ的にかなりのスローペースで入って、距離だけは21㎞踏もうと考えていた。
しかし、ぜんぜん足が動かない。
前日のハーフ走リタイアは、それほど足には来ていなかったはずなのだが…。
足が重いというよりも、体全体が重い。
それなりにペースを上げて、息も多少切れる感じになっても4分後半ペース…
ものすごくモチベーションが下がり、21㎞どころか5㎞で走りをやめた。
途中、芋ピーダッシュを敢行したが、結局、1キロ4分を切れず。
最悪だ。
土曜日のハーフ走リタイアに続き、日曜日のランも最悪の結果となってしまった。
オマケに1キロの無様な芋ピーダッシュのおかげで右膝が傷み始めている。
よく共同執筆者の「富土通」氏の記事で、無理して走り方が悪くなって故障につながっても…みたいな記述があるが、本当だ。
やはりランニング中毒者の方々は、その部分を良く知っている。
「休息も練習の一環」
その言葉の大切さをようやく分かり始めてきたような気がする。
とりあえず、本日月曜日は5時30に起きたら雨が降っていた。
咳が昨日から出始めているし、何よりモチベーションが今シーズン最高に低い。
今シーズンのトレーニング期間でもっとも即決で「今日は走らない」と判断した。
もはやハーフ90分切りは風前の灯火だろうが、とにかく今日は休む。
ということで、昨日のランの記録を一日遅れでアップしておこう。
気分転換で遊びに出かける芋太郎
昨日はそそくさとランも終えたので、妻の友人が出るという「よさこい祭り」なるものを見に出かけた。
埼玉県は北本市。
通り過ぎたことはあれど、北本市を目的地に出かけるのは初めてだった。
狭山市から車で1時間ちょっと。
まだまだ田舎の雰囲気が残る暮らしやすそうな良い街だと思った。
(初めて訪れたので、実際どうなのかは全く分からないが。)
さて人生初の「よさこい祭り」の感想だが、なかなか迫力があって面白かった。
何より、踊っている人たちが一生懸命なのに感動した。
お祭り騒ぎでチョチョイと踊ってるだけでしょ?と多少バカにしていた節が芋太郎にはあった。
バカは自分だと反省した。
あれだけの踊りをみんなで合わせるには、相当の練習が必要なはずだ。
小学生低学年であろう少年少女も一生懸命に踊っていた。
おそらくあそこまで踊れるようになるには、何度も怒られ泣いたのではなかろうか。
観客席にはよさこいの格好をして足を引きずりながら歩く人がいた。
同じよさこいの格好をしたチーム(よさこいはチームとは言わないのかもしれないが)の踊りを一生懸命に見ていた。
練習中に足を怪我したのであろうか。
本来なら自分も踊りに参加していたはずなのに…
悔しい思いと仲間への応援の思い、そういうものを抱えながら必死に仲間たちの踊りを見ていたのかもしれない。
真剣な姿をたくさん見ることができて、大変良かった。
一方で芋太郎がよさこいをやるかと聞かれれば、やっぱりやらない。
芋太郎はそもそも幼少期からダンスとかそういう類が嫌いだった。
集団で何かをやると言うのが苦手、そこもある。
しかし、勝敗がつかないことをやるのが苦手なのである。
分からないぞ?
よさこいも審査員がいて、優秀賞などを決めるのかもしれない。(会場に最後までいなかったから分からないのだが。)
しかし、その審査自体が結局その人の好き嫌いに左右されはしないか。
なかなか説明するのが難しいのだが。
明確な基準がないものを競うことが芋太郎は元来できない。
競うものがないことに努力する意欲が湧かない。
別に競わなくてもいいじゃないか、仲間たちと努力して一体感と達成感が味わえればいいじゃないか。
確かにその素晴らしさも分かる。
今までに、そういう気持ちになったことがないわけじゃない。
しかし、芋太郎はどうせ努力をしたり、何かを我慢をしたり、それによって達成感を得ることを求めるのであれば、もっとシンプルに自分を追い込む方を選びたい。
何かが上手くいかなかった時に、やはり団体で行うものだと他人に言い訳を求めやしないか?
自分の目標を達成できなかった時に、「それでもみんなで頑張れたから良かったよね」みたいに曖昧になることはないか?
そもそも審査員、見る人に評価をゆだねる競技というか、演劇というか、そういうもの自体が自分の努力と犠牲の価値を他者によって決められてしまう気がする。(そんなことは決してないのであろうが。)
だからやっぱり芋太郎は、よさこいをやるなら、やはり一人でランニングをして自分を追い込む。
非常にモチベーションが低い状態、目標達成の可能性が非常に危うい状態、気分転換をしなければいけないくらい自分を追い詰めるランニング。
そうであっても、その原因はすべて自分だ。
周りは一切関係ない。
そして、この状況を打開できるのも自分自身でしかない。
誰かが何かをしてくれるわけでなし、自分がサボれば自分に返ってくるだけ。
自分一人で苦しんで、自分一人でそれを乗り越えて、そして目標を達成できればそれは100%自分一人で満足できる。
誰から評価されるでもなく、明確にその1秒を超えればいいだけの単純な世界、それがランニング。
単純な性格をしている芋太郎には、自分と対峙するにはちょうどいい勝負事なのだ。
自分一人で、その一秒を超えればいい。
何というシンプルな世界。
それだけにランニングには苦しみ甲斐があると改めて思う。
センチメンタルになっているのかもしれない。
図らずも、ランニング中毒者みたいな記事になってしまった。
ただ単に、記録が落ち込んでいるオッサンが休みの日に北本市の祭りを見に行っただけ。
至って平凡な日記的な内容であると断って記事を終えたいと思う。