imotaro

直近のトレーニング

【11月3日(火)】

ウォーキングイベントに参加、13㎞ウォーキング

 

【11月4日(水)】

18㎞ロング走

1㎞ 5:09

2㎞ 5:07

3㎞ 5:07

4㎞ 5:04

5㎞ 5:03

6㎞ 5:04

7㎞ 4:55

8㎞ 4:51

9㎞ 4:54

10㎞ 4:57

11㎞ 4:41

12㎞ 4:43

13㎞ 4:43

14㎞ 4:38

15㎞ 4:31

16㎞ 4:23

17㎞ 4:22

18m 4:09

平均 4:48/kmペース

 

【11月5日(木)】

回復走3㎞ 6:02/kmペース

 

【11月6日(金)】

ついに発動、五・一五ラン!!

最初の5㎞

1㎞ 4:01

2㎞ 4:03

3㎞ 4:08

4㎞ 4:08

5㎞ 3:59

平均 4:04/kmペース

 

後半の5㎞

1㎞ 5:34

2㎞ 3:55

3㎞ 5:57

4㎞ 3:56

5㎞ 6:04

 

今週は完全にAIの計画を無視した。

普通に分かる。AIの計画に沿って走っていたら、まず間違いなく86分きりは無理だ。86分どころか90分切りだって怪しい。

ここからは自分の感覚を信じて練習をしていこう。

やはり芋太郎は五・一五なのだ。

なんだかんだでこの練習だ。この練習を入れてこその芋太郎だ。

 

元競技者の言葉

本日のタイトルについての話だ。

先日、元競技者の若者と話す機会があった。

とある陸上強豪校(高校)に進学し、長距離部門に所属していた若者だ。

都道府県でトップの強さを誇るような高校だ。

この学校で走っていた選手の何人かは、大学進学後に箱根駅伝を目指すような選手になる。

しかし、この若者は高校までで本格的な陸上競技は辞めたとのこと。

理由は

「一流選手の練習についていけなかった。大学はもっとついていけなくなるだろう。自分の才能はここまでだと思った。」

とのこと。

才能、と聞くと素人の私はすぐに「もって生まれた走力が違うんだろうな」と考えてしまう。

しかし、彼が言ったのは少し違った。

「もちろん走力の違いはあります。でも、それ以上に故障をしない才能だと思いました。なんだかんだで一流選手は強度が高い練習に耐えられるんです。自分は高校3年間、『強くなるためにはこの練習に耐えないといけない。でも、この練習をやると故障するかも…』という故障のラインにずっと悩んでいた。ギリギリいけると思ったラインの練習でいつも故障をしたり、体調を崩したりしてしまった。一流の選手はそこが全然違った。なんだかんだで『故障をするかしないか』が大きいと思います。」

この若者は、私のようなど素人には想像できないくらいの努力を重ねている。それこそ、高校3年間の人生をかけて走り続けたはずだ。

そんな彼が言う言葉はやはり重い。

彼は最後に言った。

「故障をしないという才能が一番大事だと僕自身は思いました。それが僕にはなかった。でも、陸上をやっていてよかったと思ってます。自分のことがいろいろ分かった3年間でした。陸上をあきらめた直後はちょっと沈みましたけど、今は『また趣味で陸上は続けていこうかな』と思えるようになったので、陸上には感謝しています。」

彼の言葉を聞いて感動してしまった。あまりにも深い話に返す言葉が見つからなかった。

陸上競技はもちろん勝負だ。しかし、記録を伸ばすこと、誰かに勝つことだけに価値があるわけではない、ということを思い知らされた気がする。

長距離の練習は突き詰めれば突き詰めるほど、辛く苦しいものになる。辛く苦しいからこそ、自分自身と向き合う時間が増えるのかもしれない。自分の弱さや自分の限界に嫌というほど向き合うからこそ、人間的な深みが増すのかもしれない。

私と比べれば二回り以上も若い彼の言葉だったが、聞いているこちらが「まだまだ自分は未熟だな…」と思い知らされた気がした。彼は私などがぜんぜん思いも及ばない深い部分で自分自身と戦い続けて来たのだろう。

尊敬しかない。